先生のノート

数学史を授業で活用する意義とおもしろさをもっと先生方に!

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数学史──数学という学問の歴史について、先生方が知見を深めることで、教育現場がどのように変わり、学習者にはどのような恩恵がもたらされるものなのでしょう。

今回は、四日市大学の名誉教授であり、「算額」読解の研究を続けられてきた小川束先生に、数学史を活用した教科指導の実践例や、日本における数学史の特徴などについて話をうかがいました。

教育現場における数学史の重要性

数学史で教員の知見を深め、指導に生かす

――さっそくですが、まず小川束先生のご経歴・専門をお聞かせください。

小川:1984年に学習院大学大学院(数学専攻)を中退したあとで、コンピュータ関係の会社に就職しました。その後、1988年から四日市大学で勤務し、2021年に退職しました。現在は学校法人暁学園教育研究センター長をしています。大学に移った直後は人工知能の研究をしようと思っていましたが、四日市市の市史編纂で「算額」の読解の依頼を受けて研究を続けた結果、いつの間にか江戸時代の数学史の専門家になってしまいました。

――江戸時代といえば算額なども有名ですが、数学史というのはどういった学問なのでしょうか。

小川:数学史というのは文字どおり数学という学問の歴史です。たとえば日本史は日本のこれまでの政治や文化、生活様式など、その国の歩んできた道のりを理解することで、日本という国を一層深く理解するためのものです。
それと同様に、数学史は数学という学問の起源や発展してきた背景、時代ごとの数学観などを知ることで、数学という学問の意味、意義を理解しようとするものです。

――教育現場の先生方が数学史に関する知見を深めることの重要性についてどのように考えていますか。

小川:現在、数学史を学ばないまま数学の教員になる人が大半です。たとえば「チェバとメネラウスはどちらが昔の人か」と聞かれて答えられない教員もいるのではないでしょうか。ジョバンニ・チェバは1647年に生まれ、メネラウスは70年ごろ生まれました。実に1500年以上も離れた時代の人です。

このような断片的な知識だけでも教科指導に役立つことはあるでしょう。しかしさらに根源的なこととして、教員がみずから教える学問の歴史を熟知しているということ自体が、教員としての存在に奥深さをあたえます。それは自然と指導にも影響することでしょう。

――なるほど。では指導する際に、数学史の知見が実際どのように反映されるとお考えでしょうか。

小川:教科指導における数学史には生徒を励ます力があります。数学史の話をすると、必ず最後に「昔の人は偉かった」「すごいと思います」という感想があります。数学に長く深い歴史があるということに気づいてもらえるのは喜ばしいことですが、私はそういう時には「どうして自分はそうなろうと思わないの?」と問いかけます。「昔の人ががんばったように、あなたにもがんばってほしい」「成果が得られるかどうかはわからないけれど、一所懸命努力することで人生が豊かになる」と言っています。

数学の学習が単なる試験のためではなく、学びを通じてひとりの人間として成長する機会の1つであってほしいと思うからです。このことはどの教科にも当てはまることですが、数学でもとくにそのことを意識して指導してほしいところです。

――数学史を活用した教科指導の具体的な実践例について教えてください。

小川:私は高大連携の活動の一環として、高等学校の授業で江戸時代の数学の話題を中心に話をしたことがありますが、2回にわけて実践したときに考えられる学習過程(導入・展開・展望)の概要を、「2次方程式の解の公式」を例としてあげておきます。

第1回

導入:
江戸時代に数学があったことを、当時の本を机上回覧し触れることで体感する。

展開:
(1)江戸時代の人々が方程式をどのように表現していたか説明する。
(2)2次方程式の珠算による解法を紹介する。

展望:
(1)江戸時代には答えが2つある場合や解が負になる場合はおかしいと考えていたことを指摘する。
(2)方程式には解がない場合もあることに注意する。
(3)これらの状況をシンプルに理解できることを予告する。

第2回

導入:
前回の復習と今回の目的(江戸時代の珠算による解法を正確に理解すること)を提示する。

展開:
(1)2次方程式の解の公式を説明する(江戸時代の珠算による解法が正しいことの証明)。
(2)解の存在、解の個数が判別式で判定できることを説明する。
(3)練習。

展望:
(1)数学の歴史は難しい解法が次第に整理されてきた過程であることを説明する。
(2)方程式を解くことを江戸時代の人々が楽しんでいたことを強調する。

数学史を通じて教育現場に期待したいこと

――教育現場では、数学史や数学者のエピソードについて、授業内で触れると反応が良いことがしばしばあるかと思います。数学史を通じての学習者の学ぶ意欲の向上の可能性について、ご意見をお聞かせください。

小川:確かに、学習者の反応が良かったという話はしばしば聞くところです。高等学校の授業に「数学史に近い内容」を導入しようという動きもありました。しかしながら、数学史や数学者のエピソードにたんに触れるだけでは、学習者の関心の高まりは一過性のもので、すぐに薄れてしまうのではないでしょうか。

数学史をたんに学習者の学ぶ意欲の向上のための道具として見るだけではなく、今学んでいる概念がどのような経緯で誕生したのかなど、これまで発展を遂げてきた歴史的背景や環境も含めて話すのがよいと思います。数学史は未知の問題や難問に苦闘してきた数学者たちの努力についても語られるべきものです。断片的なエピソードよりも、もっと深い意味での学習への動機づけをしたいものです。

――現在の数学教育において課題があるとしたら、どのような点だと思われますか。

小川:学習者のなかには、数学とは定義とルールを覚えて、あることがわかっている答えに素早くたどり着くことを競うつまらないゲームのようなものだと考える人も多いのではないでしょうか。高等学校を卒業後、数学を学ばない人も多くいることを考えると、これはとても残念なことです。2次方程式の解の公式1つをとっても、その背景には長い歴史があります。社会人が2次方程式の解の公式を覚えている必要はありませんが、その背景に長い歴史があったことを知っていてほしいと思います。

「数学史に近い内容」を導入しようとした背景には、現場の先生の置かれた状況に配慮したのかもしれません。しかし、その後それが「数学史」の導入へと大きく発展しなかったのはとても残念なことです。

知っていてほしい日本の数学史、探究することのおもしろさ

日本の数学史におけるパラダイムシフト

――数学史上の重大なできごとやパラダイムシフトなど、先生方に必ず把握してほしいことがあればお聞かせください。

小川:日本は明治維新後、西洋の科学技術を積極的に吸収し、第二次世界大戦後、科学技術立国として驚異的な発展を遂げました。その基盤には数理科学、とくに数学がありました。

明治維新後、日本は西洋の数学(現在、私たちが学んでいる数学)を導入し、江戸時代の数学は次第に影をひそめていきました。江戸時代の数学は縦書きで、「+」「−」「√」どころか、等号を表す記号「=」さえありませんでした。また、どんな問題を解くべきかという問題意識も西洋とは異なっていました。江戸時代には、明治維新後の数学とはいわばパラダイムを異にする数学が発展していたわけです。しかし、数学的な考え方において両者の間には共通した点も多くありました。日本が西洋数学をいち早く受容できたのはそのためです。

西洋数学の受容に際して、江戸時代の数学の発展が背景にあったことを見逃してはいけません。砂をうずたかく積み上げようとすれば、底面を広くする必要があります。江戸時代の数学の発展はその底面の働きをしていたといえます。

数学史を探究することで見えてくるもの

――数学史を探究することのおもしろさについて教えてください。

小川:たとえば三平方の定理はヨーロッパ、インド、中国、日本など多くの国や地域で共通して知られていました。その一方で、問題意識が大きく異なっています。同じ地域でも時代によって問題意識は異なります。どのような知識が共通なのか、なぜ共通なのか、どのように問題意識が異なるのか、なぜ異なるのかなど、数学の歴史をひもとくといろいろ疑問がわいてきます。また地域の交流によって数学がどのように伝播していったのかとか、昔の数学者が数学をどのようなものとして捉えていたのかなど、興味は尽きません。

現在では、数学は世界共通の言語といわれるようになりました。しかし驚くべきことに、日本ではおよそ150年前までは西洋起源でない数学が発展していました。このこと自体、私は興味深く感じます。現在でも江戸時代の数学書が多く残っており、古書店で買うことさえできます。私は積み上げられた江戸時代の数学書を眺めるとき、これらの書物を営々と書き続けた江戸時代の人々に思いを馳せ、一種の尊敬の念をいだきます。そして、今やそれらが大きな遺産となっているのを見て、一種の感慨にふけります。

――日本の数学史のなかで、特徴的な点をお聞かせください。

小川:日本の数学は古代から中国の数学の影響を受けてきました。江戸時代の数学もそうでした。角倉一族の吉田光由(1598〜1673)は中国の『算法統宗』(程大位、1592)をヒントにして1627年に珠算による数学書『塵劫記(じんこうき)』を刊行しました。この本はたいへん良くできた教科書で、教育的見地から現在でも研究に値する書物です。『塵劫記』のおかげで多くの日本人の計算力が向上しました。

また、関孝和(1642?〜1708)は中国の数学書を参考にしながら、未知数や数式の表現方法をくふうし、多くの問題を連立高次方程式の解法に帰着しました。当初、関自身はその結果のみを中国の数学書を模倣して漢文で書きましたが、門人らが関の計算過程を公開したことから、江戸時代の数学が急速に発展しました。この関による整式の表現方法は細かい改変はあったものの、基本的に明治維新まで踏襲されました。

――日本は江戸時代まで中国の数学の影響を受けたあとに独自の発展を遂げたということですね。

小川:江戸時代には日用算や測量、暦を作るための天文計算以外には、ほとんど数学を応用する局面は発生しませんでした。それにも関わらず江戸時代には数学が独自に発展していきました。それは当時平面幾何、立体幾何の問題を解くことが人々の最大の関心ごとだったからです。このような問題は無尽蔵に生み出すことができます。

とくに人々の心を打ったのは、美しい図形に関する問題です。問題を解くための計算が膨大で、答えが簡単になるものに関心が集まりました。それらの実例は神社などに奉納された「算額」に見ることができます。

ちなみに現在900枚程度の算額が現存しています。算額を奉納したのは趣味として数学を学んだ人々です。江戸時代にはこのような人がおおよそ全国にいて、江戸時代の文化の豊かさの一端を示しています。現在、算額の保存は所有している神社などにまかされていますが、私は算額全体を保存するプロジェクトが進行することを願っています。

江戸時代にも活用された数学──今や科学技術力を支える根幹

江戸時代の大工の数学

――江戸時代の人々の数学に対する関心の高さがうかがえるお話ですね。小川先生が以前書かれた「江戸時代の大工の数学」について、概要をお聞かせください。

小川:江戸時代には多くの人が珠算で計算をしていました。大工もそうでしたが、大工にはもう1つの計算法がありました。それは曲尺(かねじゃく)を用いて板に相似な直角三角形を描いて行う比例計算です。

曲尺で線分の長さを求めることで比例する2つの量の計算が行えます。読み取り方によって誤差は出ますが、電卓が普及する前の計算尺も、長さを計測して計算する道具でした。実は、曲尺を用いると平方根や立方根を図示することもできます(これが大工にとって必要だったかはわかりませんが)。

――いろいろな道具を使わずとも、曲尺1つで多くのことができたということですね。ほかにも何かエピソードはありますか。

小川:江戸時代には、一般的に図形の頂点に名前をつけることはせず、線分に名前をつけていました。たとえば、今日では三角形を頂点によって指定して示しますが、江戸時代には3辺の長さによって指定しました。これに対して、大工の本のなかには頂点に名前をつけたものがあります。これは、組木(くみき)を伝承するためにその方が便利だったからでしょう。

江戸時代の数学書を読んでいると、頂点に名前がついているとわかりやすいと思うことが多々あります。なぜ、この大工のやり方が数学に導入されなかったのかは不思議に思うかもしれません。しかしそれは我々の先入観がそう思わせているのです。というのも、当時の数学の問題の多くが線分の長さを求めるものであったため、当時の人々にとっては長さで図形を指定する方が自然だったのです。

数学史には人を励ます力がある

――貴重なお話をありがとうございました。最後にこれからの数学教育のあるべき姿と期待することを教員の方に向けてお願いします。

小川:数学は、資源の少ない日本の科学技術力を支える根幹となる学問です。そのために多くの時間が数学教育に費やされています。また、日本の数学の教科書はたいへん優れていて、限られたページのなかに要領よく書かれています。数学が苦手な人にとっても、教科書は理解しやすい構成になっているのではないかと思うくらいです。しかし、現実には数学が苦手な人の多くは先入観にとらわれていて、自分は数学ができないと思い込んでいます。説明を受けて理解できた瞬間、「それだけのことだったのですか?」と驚く生徒もいます。この苦手意識の発生源はもちろん試験です。

古来、試験は学力向上のための重要な要素です。試験をしなくても、ごく一部の生徒は数学ができるようになるでしょう。しかし、さらに多くの数学のできる人を社会が必要としているのですから、試験をやめることはできません。とはいえ、試験が至上命令になるのは問題です。

現在、大学の理系学生の割合はおよそ20%といわれています。残りの学生のなかには、社会に出て数学を使う機会はないと考える人もいるでしょう。そのような人の多くは、中学生、高校生時代に数学に苦しめられたという印象を持っています。それはとても残念なことです。大人になったときに、「試験はできなかったけれど、数学は好きだった」と言ってもらえるような教育をしたいものです。現場の教員もそう考えていると思います。そのために、まず生徒を励ますべきだと思います。そして、数学史には人を励ます力があると思うのです。

現在、教員が数学史を学ぶ機会は僅少ですから雲をつかむような話ですが、数学史の意義を理解する教員が増え、生徒に充実感を与えられるようになることを期待しています。


今回は、学校法人暁学園教育研究センター長の小川束先生に、数学史と教育指導についてお話しいただきました。

SAMEでは、今後も「新しい数学研究」をテーマにさまざまな記事をお届けしていきます。

小川 束
今回お話を伺ったのは…小川 束さん

学校法人暁学園教育研究センター長
四日市大学 名誉教授
1954年生まれ。学習院大学大学院自然科学研究科(数学)博士後期課程中退。1988年、四日市大学講師、97年から四日市大学環境情報学部教授・同大学関孝和数学研究所副所長。2022年から現職。博士(学術)。

<SAME取材班>

※所属・肩書は取材当時のものです。