先生のノート

数学こそすべての土台、数学者から見た数学の醍醐味

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数学者として活躍する一方で、数学好きの女性を増やすための情報発信にも力を入れる東京大学准教授・佐々田槙子先生。先生が感じる数学の醍醐味や、海外の研究現場と日本との違いなどについてうかがいました。

大学で気づいた確率論の魅力

――佐々田先生が数学者をめざしたきっかけを教えてください。

小さいころから論理パズルが好きで、ピーター・フランクル先生のクイズやゲーム、秋山仁先生の著書などもよく読んでいました。だからといって中学校や高校で大学数学に没頭していたわけではなく、数学の世界に進もうと決めたのは大学に入ってからでした。

大学に入って、数学と物理のいずれかの専攻を選ぶ時期を迎えたとき、私はどちらにも興味があったので、迷っていたのです。それで、物理の実験の授業も受けてみたのですが、これはちょっと苦手かもしれないなと感じました。物理の場合、実験で誤差が出ることが普通にあります。誤差が出たときにはそれらしい理由を書くのですが、その理由も本当にそうなのかな?と、私の場合は疑問に感じてしまいました。一方、数学は自分にとってスッキリしたものでした。たとえば、証明の場合はできなかったときにもなぜできなかったのかがはっきりとわかる。物事の結果がはっきりしているので、この安心感とスッキリ感が自分には合っていると感じて、数学を専攻することに決めました。

それから、確率論の授業を受けてみると、これはとてもおもしろいなと感じました。予測できない未来のことを厳密に数学で表現していくと、だんだんと予測がつくようになる。株価を例にとった場合、今日の予測、来週の予測、半年後の予測では少しずつ違うのですが、確率論ではそういう時間的に変化するランダム差もきちんと表現できるのです。これはとてもおもしろいなと思いました。また、原子や分子などのレベルで見るミクロな世界と、私たちがふだん見ているマクロな世界は、確率論を用いることによってつなぐことができます。分野を超える懸け橋の役割を数学が担う、そこにもおもしろさを感じていました。

――先生の専門分野、統計物理学とはわかりやすくいうとどのような研究でしょうか。

統計物理学は、原子や分子など、小さい単位でできたものがすごく大量に集まったときに、どういうことが起きるのかを研究しています。たとえば、川や空気のなかに異臭のする物体を入れると、ふわっとだんだん広がっていきますよね。これを拡散現象といい、基本的には原子と分子を使って説明できるはずなのですが、その関係は複雑で、わかりにくい。それを数学でスッキリと説明してみようという試みを行っています。

もう1つ例を挙げると、なぜ水と氷は0℃を境に変化するのかということですね。水の温度を10℃→1℃→-1℃、-10℃とだんだん下げていくと、私たちが見る世界ではパッと水が氷に変わります。温度は連続的に変化しているなかでそういう不連続な現象がなぜ起こるのか。統計物理学はそれを解明することができるのです。このように、小さいものがたくさん集まった集団のふるまいについて、さまざまなものを対象に考えていく、それが統計物理学なのです。

他分野との連携で広がる楽しさ

――先生が「数学っておもしろい!」と感じるのはどのようなところですか。

確率論を用いて、統計物理学に由来する問題を数学的にとらえた場合、そこで得られた知識の活用先は幅広いものです。先ほどの事例でいうと、原子と分子、ミクロな世界の小さな粒子が集まったときに、それらがどのようにふるまうかを数学の問題として見ていった際に現れる定義は、生物学や経済学、渋滞予測などにも活用されています。つまり、生物、微生物などがどのようにふるまうかが実は社会現象とも非常に似ているのです。本格的な応用を考えるならば、物理や経済学など、それぞれの分野の専門家との連携が必要になりますから、分野をまたいで共同研究する機会にも恵まれています。数学には対象の制限がありません。

 たとえば、物理というと、想定しているものが原子、分子、素粒子などというようにある程度限定されます。マクロ現象を考える際も、何らかの物理現象に注目して研究することになる。しかし、数学はもっと自由に考えられる学問です。物理現象のなかから、普遍的な性質を取り出し、それをほかのいろいろな事例とつなげて考えていくことができるのです。

 物理の場合、3次元で考えることが多いのですが、数学はそこを飛び越えて、「これを100次元で考えるとどうなるのだろうか?」というように、現実から離れて自由に考えても叱られません。むしろ、「100次元で考えたなんてすごいね!」と言ってもらえる世界です。こうやって見つかった法則が、実は渋滞予測にも活用できるなんてことが起こる。こういうところが数学の魅力であり、醍醐味だと思います。

――先生がいまいちばん力を入れている研究を教えてください。

ミクロとマクロをつなげる理論の抽象的な枠組み作りです。これまで私の分野で行われてきた研究は、この条件をこのように変えたらどうなるのかという個別の事例を追求した研究が多いのですが、私が力を入れているのは個別の事例を離れ、一般的にミクロな事象とはどういうものであるかを抽象的にとらえることです。サイコロだと、目は1から6まであり、期待値は3.5ですが、何度も投げているとだんだんと出た目の平均値と3.5のずれが正規分布に近づくことがよく知られています。サイコロだけでなく、トランプを引く場合や、コインを投げる場合など、個別の事例も調べていくわけです。同じことを何回も繰り返して平均とのずれを調べると、「全部が正規分布になるのかな?」と思えてくる。そうなると、その場合の「全部」ってなんだと、枠組みが必要になる。いまは統計物理学の場合で、そういうところをやりたいなと思っています。

実はこの全部というのも、本当に全部ではなくて、定められた条件はあるのです。サイコロ、トランプ、コインなど、いろいろなものが共通の性質をもっているのですが、少し違う性質をもつ対象の場合、正規分布とは違う分布が生まれてくる。マクロに見ると拡散現象が出てくるようなモデルというのは、どういう枠組みに入っているのか、その抽象的な枠組みを作ることに挑戦しています。

 幾何や代数を専門とする先生の発想もたいへん参考になります。幾何や代数のほうが抽象化の歴史は長く、ミクロからマクロの世界にいくときに、マクロな方程式に出てくる変数の数を抽象的にとらえるときに、そうした知見がたいへん役立ちました。そうしたいろいろな数学のアイディアを使いながら研究を進めているところです。

――数学好きな女性に向けての情報発信にも力を入れておられますね。先生はなぜこうした活動を始められたのでしょうか。

日本ではまだ数学科を選ぶ女子学生が少ない。先日もお茶の水女子大学に進んだ学生たちと話す機会があったのですが、ある学生がお茶の水女子大学を選んだ理由は、理系分野でも女性が稀有な存在として見られないからというものでした。医療系以外の理系をめざす女性は約20%だそうですが、数学科に絞ってみると、全国的に割合はもっと低いのではないかと思います。

 日本では、「女性は数学が苦手」というような思い込みを持っている人もいるようですが、私自身はまったくそのようなことはないと思っています。現に、海外では女性の数学者もたくさんいます。ではなぜ、日本では数学を専攻する女性が少ないのかと考えたとき、情報格差や無意識のバイアスの影響があると思いました。たとえば、数学科に多くの生徒が進むような男子校の場合、縦のつながりもありますから、身近な先輩から数学科について話を聞く機会もあります。だから数学科に進むイメージをもちやすい。

 ところが女性の場合はロールモデルを見つけにくい。数学科の女性の割合が少ないからか「うちの子、数学が好きだと言っているのですが、数学科に進んで大丈夫でしょうか?」と、女子生徒のご家族から不安そうに質問を受けたこともあります。数学は実社会で役に立たないというイメージをもたれてしまっているのか、学校の先生が理系の進学先として数学科よりも医療系や情報処理などの工学系を生徒に薦める場合も多いようです。しかし実際は、数学はIT技術や機械学習、データサイエンスなど現代社会を支える基盤であり、しっかりと数学力を身につけた学生の就職状況はとてもよいと思います。

数学好きの女子生徒が情報を得る助けになればと「数理女子」(http://www.suri-joshi.jp/)というWebサイトを作り、活動を始めました。「キャリアパス」「他分野とのつながり」「数学そのもののおもしろさ」「リアルライフ」の4つを柱に記事で発信したり、イベントを開催したりしています。

――次世代育成の一方で、現役研究者とのコミュニティ作りもされていますよね。

「おいでMath談話会」という談話会を企画しています。月に1度、オンラインで数学者1名をお招きし、数学の講演とインクルーシブな研究環境作りに関連した講演をお願いし、参加者どうしの交流も行っています。大学院生や研究者、博士号を取って今は専業主婦をされている方など、数学に興味があるさまざまな人が参加できるコミュニティとなっており、毎回私自身、新しい発見がたくさんあります。

 私は海外でも研究していたことがあるのですが、海外の教授たちはとてもフランクだと感じています。「いつでも研究室を訪ねていいよ」という雰囲気があり、自宅で開くホームパーティーなどにもたびたび誘っていただきました。ホームパーティーでは教授の友人の映画評論家の方など、まったく違う分野の人たちとの交流があり、そういったなかで、新しいアイディアが生まれることもありました。

教員への一言メッセージ

数学はいま、社会からも引く手あまたな分野です。情報、物理、工学などはもちろん最近では医療系、生物、社会科学、経済など幅広い分野と深くつながっている学問です。数学科から工学など、ほかの理系分野への転身は比較的しやすいと思いますが、逆向きはやや大変だと思います。しばらく勉強してみてから「もう少し違うことがやりたい」と思えば他学科へ移る選択肢もあるので、数学科に興味があるという生徒がいたら、まずは背中を押してあげてください。


佐々田 槙子
今回お話を伺ったのは…佐々田 槙子さん

東京大学大学院 数理科学研究科 准教授
東京大学大学院数理科学研究科修了。博士(数理科学)。慶應義塾大学理工学部数理科学科助教、同専任講師を経て、2015年より東京大学大学院数理科学研究科 准教授。専門は確率論、統計物理。2021年、第3回輝く女性研究者賞(ジュン アシダ賞)受賞。2022年、藤原洋数理科学賞奨励賞受賞。数学オリンピック財団評議員も務めるとともに、女子学生向けに数学の情報を提供するサイト「数理女子」を運営している。

※所属・肩書は取材当時のものです。



/media/宮本さおり
記事を書いた人 宮本さおり

2000年同志社女子大学卒業。子どもたちの育ちと学びを支援するため、グローバルな視野を育む活動と正しい教育情報の発信に努める一般社団法人Raise共同代表理事。教育ジャーナリストとしても活躍。著書に『データサイエンスが求める新しい数学力』(日本実業出版社)がある。