先生のノート

日本の統計教育のあり方

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2017~2019年改訂学習指導要領では、小学校、中学校および高等学校のすべてにおいて、統計教育の内容充実が図られました。昨今のAI・データサイエンスの普及を背景に、欧米諸国に遅れをとる日本の統計教育のあり方の見直しが本格化してきたといえます。

今回は、国内外の統計教育の内容・評価法などの研究に携わってこられた、立正大学データサイエンス学部の渡辺 美智子教授に、日本の統計教育の歩みとこれからのあるべき姿について話をうかがいました。

欧米諸国に対し30年もの遅れをとった、日本の統計教育

単に計算ができることは“社会で統計を活用する”ことにつながらない

――さっそくですが、まず先生の専門分野やこれまで取り組んでこられた活動についてお聞かせください。

渡辺:九州大学理学部数学科を卒業した後、大学院では総合理工学研究科の情報システム学を専攻し、統計科学、応用統計学、そして統計教育を中心とした研究に携わってきました。

また、日本統計学会の統計教育委員会で委員長を務めさせていただいた時期に、「21世紀の知識創造社会に向けた統計教育推進への要望書」(2005年6月)として、17の学術団体・産業団体と連名で、統計教育の内容を、世界と同じレベルに」という提言をとりまとめ、文部科学大臣の諮問機関である中央教育審議会に提出して以降、現在まで、統計教育を支援する活動も、長く続けています。

――「世界と同じレベル」の統計教育をめざしてこられたとのことですが、世界の統計教育内容を具体的に教えてください。

渡辺:日本では近年「データサイエンス」「AI」などが台頭し、データ活用や統計学習の重要性が叫ばれるようになってきましたが、世界、とくに欧米諸国では1990年代にはすでにそのスタートダッシュが切られていました。
「来るべき不確実で複雑な21世紀を賢い生活者として生きるために、どのような能力が必要か」を考え、データを活用して客観的に状況を見極め、問題解決および意思決定や判断ができる人材を育てる統計教育が始められていたのです。

「K-12」という言葉をご存じの方も多いかと思いますが、「Kindergarten=幼稚園」から「12年生=高校卒業」まで、学年ごとに子どもが理解できる文脈でデータに基づく問題解決学習が繰り返されています。
たとえば幼稚園高学年や小学校低学年でも、子どもたちが履いてきた片方の靴を色ごとに分け並べることで、色の分布をリアルでグラフにする。そこから「もっとも多い色・少ない色は何色か」「女の子は何色の靴が多い?」などの傾向をつかみ、さらに「今日お休みの〇〇ちゃんの靴の色はどんな色かな?」と傾向をふまえた予測まで引き出す、そんな授業が推奨されています。

仮説を立て・データの収集と集計や読み解き・問題解決/意思決定、三本柱の教育が30年前から積み重ねられているわけですから、日本は2~3周回遅れと言っても差し支えないほど、大きな差をつけられてしまったのです。私も海外のカリキュラムを初めて目にした時は驚きました。

――それに対して、日本の教育はどのような状況だったのでしょうか?

渡辺:2008、2009年度の学習指導要領が公示される以前は、統計やデータに基づく問題解決学習がそもそも指導要領のなかに位置づけられていませんでした。「総合的な学習」はあるものの、欧米諸国のように科学的な問題解決の方法を体系的に身につくような学習の場が設けられていなかったのではないかと思います。
また、数学Bの選択問題の一部として「統計とコンピュータ」が扱われる場合も、5、6個のデータを与えて平均や標準偏差、相関係数などを求めさせる「計算問題」にとどまるものでした。

こうした日本の統計教育に対して、「単に計算ができるということは、統計を活用することにつながらない」と周囲が危機感を抱くことになったのが、2003年のPISAショックです。
国際的な学習到達度テスト「PISA」数学リテラシーの「不確実性」の領域では、データと背景の文脈を読み解いて思考する能力が問われます。しかし、これまで計算問題のみに取り組ませ、さらには問題を簡単なものにするために「データのばらつき」などの要素を排していた日本の統計教育では、外れ値を含むテストの点数の分布を比較し判断する問題などの具体的な文脈のなかで統計情報に基づいて判断が求められる問題に対応できなかったのです。

このPISAの成績低迷を受け、2008、2009年度の学習指導要領では、中学校数学に「資料の活用」領域が新設、高等学校の数学Ⅰに「データの分析」が入るなど、統計学習の内容が30年ぶりに拡充されることになりました。

統計学習によって身につけるべき“批判的思考力”

渡辺 美智子教授

データはさまざまなプロファイルを持つからこそ、サイコロのようには扱えない

――「データを活用して客観的に状況を見極め、適切な判断を下すこと」が「不確実で複雑な21世紀を賢く生きる」ために重要となるのは、どうしてでしょうか?

渡辺:数値をエビデンスにした判断や意思決定ができなければ、自分のまわりだけで見聞きした局所的な情報をうのみにして全体が見えず、誤った方向に進んでしまいかねません。

新型コロナウイルス感染拡大の状況における、報道の例がわかりやすいでしょう。
当初は「日本の感染者は〇人、他国では〇人」「日本の昨日の感染者は〇人、今日は〇人」と報じられていましたが、後に「人口や検査体制が違うのだから、感染者数を他国と単純に比較しても、日本の状況を判断できないのでは」「感染者数の変化には周期があるから、直近の伸び率は前日比で測れないのでは」と打ち出し方が変わっていきましたよね。

統計数値は定義や対象とした母集団もそれぞれ異なりますから、サイコロの目の数字のように単純な値の大小で扱うことはできないのです。文脈の中で数値の意味を捉えて状況を見極めなければ、政治家は政策を誤りますし、「統計数値=真実」だという思い込みや感情で判断してしまっていては、SNSなどで問題になっている「恣意的に操作された情報」にだまされることにもつながりかねません。

――いわゆる「リテラシー」を高めることが必要だと。

渡辺:そうですね。統計数値に対しては批判的思考が重要、ということでもあります。

昨今大いに話題になっているAIにおいてもそうですよ。現在より1つ前の第二次AIブームでは、「100%成り立つ法則(エキスパートルール)」をもとに人の作業を自動化するAIが開発されましたが、第三次AIブームでは「100%成り立たなくてもいい、統計的な傾向によるルール」という判断がベースにあります。
つまりAIによる予測や判断には、誤差や判断のリスクが存在するということです。「AIによるレコメンドは正しい」「大量のデータから判断したから真実だ」などと思い込んでしまってはいけない。「前提にある仮定は成り立つのか」「バイアスはないのか」をつねに問い続けていく、批判的思考力を高める必要があります。

そしてこの力は、急に言われて身につくものではないからこそ、学校教育で統計学習を正しく扱い、子どものうちから挨拶をすることと同じように習慣づけていくことが求められるのです。

新学習指導要領の統計学習の内容とは

「データ活用」に重点をおいた教育改革。単なる計算問題はもはや出題されない

――2017、2018年度に告示された小学校、中学校および高等学校の新しい学習指導要領では、統計学習の内容が拡充されていますね。

渡辺:必要なデータを収集・分析し、その傾向を踏まえて課題を解決する「データ活用人材の育成」を軸に、小学校1年生から算数に「データの活用」領域が新設されました。中学校数学にも、「資料の活用」が「データの活用」と領域名称が変更され、接続が意識されています。
またとくに、高等学校の改革は大きいものですね。数学と新教科「情報」や探究の時間を連携させてさまざまな場面での統計活用を行うとともに、入試でも統計・データ活用に重点が置かれるようになっています。

また文脈のあるデータ活用の道すじとして、「PPDACサイクル」が、小学校から高校まで算数・数学の指導要領解説に明示されました。まずは問題(Problem)を問いの形で把握し、データを想定しながらデータの集め方と分析の方向を計画(Plan)する。その計画に沿ってデータ(Data)を収集して整理し、作成したグラフから特徴や傾向を分析(Analysis)し把握する。最後に結論(Conclusion)をつけて振り返りを行う。
この一連のサイクルを、各学年で理解できる文脈を使って繰り返しまわしていくことで、少しずつ扱えるデータ量が増えたり、判断が精密になったり。いずれは文脈が身の周りのことから地域のこと、国のこと、世界のこと……と広がって、社会や経済を変えるような判断や問題解決につながっていく。そのような学習体系が学校教育に取り入れられたことは、大きな変化だととらえています。

――この改訂を受けて、教育の現場ではどのような変化が起きてきているのでしょうか?

渡辺:大学入学共通テストの内容を見てみると、政府が公表する統計情報を用いながら、実社会と結びついたリアルな問題が出題されています。相関係数など、これまで単なる計算問題となっていたテーマが文脈と関連づけられていますし、統計的推測にまで踏み込んだ内容となっていました。
文脈の背景の説明が長く、そのため正答率は低下傾向にあることが問題になっているようですが、これができないようでは社会でのデータ活用には結びつかない。実データによる探究学習を経験していれば、何が問われているのか、想像がつくようになるので、必要な変化だと思います。問われている学力の質、学習アウトカムが変化していることに気がつかなければなりません。

また保護者から「自分たちが習っていないような統計グラフやデータの分析スキルを、子どもが学習している」と変化に気づく声もあがっているんです。企業や行政職員も含め、社会人の統計に関するリカレント教育も一緒になって推進されているので、統計・データサイエンス・AIに関する資格試験も出てきており、現場の変化はひじょうに大きなものですよ。

これからの統計教育と先生のあるべき姿

渡辺 美智子教授

技術とデザイン思考をかけ合わせ、チームで“社会で活用できる数”にしていく

――すでに授業や試験の内容にさまざまな変化が起きているということですが、今回の改訂を受けて統計教育はどのように変わっていくべきだとお考えですか?

渡辺:文理融合が重要なポイントになると思います。先ほどお話ししたとおり、単に計算ができることは統計を “活用” することにはつながりません。文理融合で、チームで助け合って「この技術をどのように使い、社会をどう変えていくか」を考えながら、単なる計算や技術にとどまらず“社会で活用できる数学” にしていく必要があるのです。

そのためには、これまでの教え方と評価方法を変えていくことが必要でしょう。定理を暗記して問題を解くだけのルーティンではなく、事例と目的をベースに数学の必要性を理解させるしくみがつくれたら、「数学が嫌い」「文系には必要ない」がなくなっていくと思います。

――貴重なお話をありがとうございました。最後に、この大きな変化の中で統計教育に携わる先生方に向けて、メッセージをお願いいたします。

渡辺:学習指導要領の改訂によって統計学習の内容が拡充されたことで、先生方もさまざまな情報収集や授業研究をなされると思います。ひじょうに奥が深く社会での活用の範囲が広い領域です。また海外にはひじょうに良質な教材や評価問題がありますので、ぜひ研究、授業実践、学会発表などをしていただいて、子どもたちと一緒にデータを活用した探究学習を楽しんでいっていただけたらと思います。


今回は、立正大学データサイエンス学部の渡辺 美智子教授に、統計教育の歩みとこれからのあるべき姿についてお話しいただきました。

SAMEでは、今後も「新しい数学研究」をテーマにさまざまな記事をお届けしていきます。

<SAME取材班>

※所属・肩書は取材当時のものです。